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「稼げる現場」を仕組みで守る——軽貨物140名を率いる、還元率へのこだわり

株式会社パワー・カーゴは、軽貨物運送と自動車の販売・リースを二本柱に、関東・大阪あわせて約140名のドライバーとともに現場を支える会社だ。代表取締役の木谷克彦氏は、日産のメカニックから不動産営業、訪問販売、佐川急便を経て独立。「働く人の収入を最大限にする」という一点を軸に、元請けともドライバーとも直接契約を結ぶ自社完結型のモデルを築いてきた。転職を重ねた過去から上場を見据える現在まで、その歩みと哲学を聞いた。

目次

メカニックから始まり、佐川で培った現場力

木谷氏のキャリアは、転職の連続から始まっている。20歳で整備士の資格を取り、日産系のメカニックに就職。だがそこは研修期間で離れ、その後は不動産の賃貸営業、布団の訪問販売と職を変えながら各地を回った。

転機となったのは25歳で入社した佐川急便での3年間だ。ここで宅配運送の実務を徹底的に叩き込まれた。

「当時は主任や係長がとにかく怖くて、報告しなくて済むように自分で全部処理するんです。あとから『こういうのがありました』としか言えないくらいで」

謝罪対応も配車も一人でこなす環境で身についた対応力は、のちに独立してからの大きな武器になった。佐川を辞めた後は軽貨物の個人ドライバーとして2年間現場に立ち、それから会社を興すことになる。

占いと先輩たち——独立の意外な入口

独立には、明確な野心があったわけではないという。

「本当に独立しようという気はあまりなくて。占いの方から言われたのと、佐川の先輩たちと一緒に立ち上げた会社なんです」

佐川を辞めてすぐの頃、占い師から「社長に向いているから絶対にやった方がいい」「社長になれという話が来るから受けた方がいい」と告げられていた。当時は軽く受け流していたが、2年後、個人事業主として集まった佐川出身の先輩たちのチームが3人から5人、7人へと増えるなかで、「自分たちで会社を作って仕事を取ろう」という話が持ち上がる。

一番下っ端だった木谷氏が「手伝いますよ」と動いたところ、そのまま社長に指名された。占いの言葉が現実になった瞬間だった。設立日と社名まで占ってもらい、そこから会社は16年続いている。

「マネジメントの経験もなかったのに、ここまでやれている。ちゃんと見えていたんだな、と思います」

直接契約にこだわる、還元率のための構造

軽貨物で100名を超える事業者は業界の上位1割ほど。そのなかでもパワー・カーゴの立ち位置は独特だ。多くの同業が「案件特化型」か「ドライバー集め特化型」のどちらかに寄るなか、同社は元請けともドライバーとも直接契約を結び、その両方を自社で完結させる。

他社のドライバーを借りたり自社のドライバーを貸したりする、いわゆる二重下請けの割合は全体の2割以下に抑えている。この構造へのこだわりが、ドライバーへの高い還元率を生む。

「上げていただいた分に関しては、本当に85%をお支払いします、というのは徹底しています」

固定費を変動費に変える業務委託の形は利益率を圧迫するが、木谷氏はそれを承知のうえで働き手への還元を優先する。物価が上がるなかでも85%という水準を守りながら、全体の売上を伸ばすことで一人ひとりの手取りを底上げしていく。その発想が経営の根にある。

コロナとトラック事業——二つのピンチを越えて

順調に見える歩みにも、大きな試練が二度あった。

一つはコロナ禍の第一波。多くの軽貨物事業者が特需に沸くなか、港区を中心に赤坂・麻布・六本木のオフィス街を主戦場としていた同社は逆風を受けた。緊急事態宣言でオフィスや店舗が閉まり、荷物を届けても受け取り手がいない。芝浦や高輪といった住宅エリアは「巣ごもり需要」で多忙を極めた一方、ビジネス街の配達は激減した。

それまでゆうパックほぼ一本で効率を追求してきた同社は、ここで郊外の住宅街配送へと舵を切る。Amazonや佐川急便の配達を手がけるようになり、現在の丸和運輸などとの取引につながっていった。

もう一つはトラック事業からの撤退だ。許可取得に多額の費用をかけたものの、想定していた取引先の方針が転換。車両ごと買い取ってくれる譲渡先を見つけ、致命傷を避けて撤退した。

「法律を守る難しさもあって。結局、創業以来ピンチと呼べる時が二度ありましたね」

「稼げる場」を守るための上場という選択

同社の営業は、今もほぼ紹介のみで成り立っている。佐川時代の上司や先輩が要職に就き、そのつながりから仕事が舞い込む。日通ペリカン便がゆうパックに吸収された際に現場で共にした人々も、各所で出世して声をかけてくれる。ゆうパックでは都内シェアで首位を担うまでになった。

その基盤の上で、木谷氏が次に見据えるのが東京プロマーケットへの上場だ。

「市場の流動性がある上場ではありません。ただ、東証が認めた会社だという認知はされる。金融機関の評価も、荷主さんとの直接契約のしやすさも変わってきます」

借入に付く個人保証の解消、そして取引の信頼度向上を見込む。いきなり上位市場を目指すのではなく、プロマーケットを起点に社内の管理体制を整えながら段階的に上場していく——利益率の低い業種の実情に即した現実的な道筋だ。そのために来年あたりから、取締役候補となる人材の採用を強化していく考えだ。

整備工場という次の一手

中期の目標として、木谷氏は5年で売上20億円を掲げる。今期16期でおよそ10億円に届く見込みで、そこから倍増を狙い、5年半ほど先のプロマーケット上場につなげる構想だ。

その過程で必ず取り組みたいのが、自社整備工場の設立だという。

「ドライバーさんは車をぶつけることも多い。綺麗な工場が自社にあれば整備費用を抑えられますし、福利厚生としても安心してもらえます」

軽貨物用の車両だけでなく、一般向けに販売する車の納車整備や車検整備も自社でまかなえれば、より安く車を提供できる。販売台数の増加にとっても、大きなインパクトを持つ一手だと見ている。

会社概要

  • 会社名:株式会社パワー・カーゴ
  • 代表者:木谷克彦
  • 事業内容:軽貨物運送業、自動車の販売・リース業
  • 従業員:役員1名、パート3名、業務委託ドライバー約140名(関東約120名・大阪約20名)
  • 売上規模:約9億円(2025年12月期)
株式会社 パワー・カーゴ 代表 木谷克彦

編集後記

転職を重ね、占いに背中を押されて社長になったという木谷氏の語り口は、驚くほど飾りがない。しかしその軽やかさの裏には、「働く人の収入を最大限に」という揺るがない軸がある。元請けにもドライバーにも直接向き合い、還元率85%を守り抜く姿勢は、変動費化が当たり前の業界にあって静かな覚悟を感じさせる。現場の一番下から会社を担うことになった人だからこそ、稼げる場を仕組みで守ることの重みを知っているのだろう。

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