東京・練馬区出身の落合弘則氏は、高卒後にサッカー選手と営業職を両立しながらキャリアを積み、美容業界・建設現場・保険営業・タイのプロフットサルリーグと、業種と国境を越えて実績を重ねてきた。現在はFIGOSJAPAN株式会社を率い、小学生フットサルスクール・タイ料理店・DX営業支援を展開する。六人の子を持つ親として資金繰りの正念場に立ちながらも、「人の可能性を伸ばすこと」を経営の根幹に据え、ジュニアアスリート支援財団の設立を見据えている。
高卒の飛び込み営業から美容業界へ──サッカーとの二足のわらじ
落合氏は高校卒業後、自動販売機の飛び込み営業をしながら関東社会人サッカーリーグで選手活動を続けた。「仕事とサッカーを両立していたが、だんだん通えなくなってきた」と振り返る。サッカーを辞めるのと同じタイミングで転職を決め、向かった先がヘアケアメーカー・株式会社ディアテックだった。
同社は当時、業界内で独自のトリートメントシステムを展開し、右肩上がりで成長していた会社だった。落合氏は営業とインストラクターを兼任し、美容師向けに毛髪科学・色彩理論の講習会を年間300回以上こなした。「多いときは30名規模のセミナーの講師も担当していた」と語り、この経験が人前で話す力と、業界横断的な知識の土台をつくった。
しかし在籍中、落合氏が東日本担当として開拓した代理店への商談を、自社上層部の指示で別部署が横取りするという出来事が起きた。代理店の社長から叱責を受け、「責任を取って辞めます」と伝え退職。「まだ20歳そこそこで、そんな理不尽には耐えられなかった」と話す。
裏切りと肺炎、それでも営業が好きだった
「また美容メーカーで働きたい」という気持ちから、次は美容室を六店舗展開する社長が運営する美容メーカーへ転職した。営業・講習会講師・商品開発の三業種を同時に担ったが、過重な負荷が重なり肺炎でドクターストップがかかった。にもかかわらず上司から「展示会に来い」と命じられ、「医者にダメと言われているのに、なぜですか」と問い返すと「昨日遊び歩いていたのだろう」と返ってきた。「分かりました、今日付けで辞めます」と即座に退職した。
辞める際に代理店の社長へ挨拶に出向いたところ、練馬から相模原まで足を運んだその誠実さを見た社長が、大阪に自社工場を持つ大手美容メーカーを紹介してくれた。そこでも講師・営業として活躍したが、再びサッカーへの渇望が膨らんだ。東京都の大会に出場して負けた後、「だったらブラジルへ行こう」と決意し、「ブラジルに行くので辞めます」と告げてまたも退職した。
ブラジル、タイ、フットサルの夢を追い続けた日々
ブラジルへ渡った後はフリーターとしてフットサルを中心に過ごし、塗装・ハウスクリーニング・建設現場(職長)など多様な現場仕事も経験した。「1〜2年単位でちゃんと働いていた」と落合氏は言う。
その後、静岡の人材派遣・請負会社から実業団チームのGMとして招かれ、女子サッカー・女子バスケット・アイスピードスケート・アーチェリー・テニスなど複数の部を一気に立ち上げた。フットサルチームではブラジル人社員とともに選手スカウトも担当した。
2年目のシーズンに岩手のFリーグチームへの移籍話が舞い込み、本社管理部の要職を離れて岩手へ赴いた。岩手では選手と並行して大同生命盛岡支社で花巻法人会担当の保険営業を兼任。損保・生保の資格を取得し、フィールドと営業現場を行き来する生活を送った。「営業が長い。法人営業もセミナー講師も、業種を問わずやってきた」と落合氏は言う。
その後、タイのプロリーグチームのトライアウトに合格して渡タイ。日本人駐在向けサッカースクールの指導・運営も担いながら、チームの現地スポンサー獲得にも奔走した。「現地の電通副社長にも打診した。つてをたどってたどり着くことは、散々やってきました」と振り返る。個人スポンサーも自力で数社獲得した。
父親の脳梗塞と子の誕生を機に帰国。以降は人材派遣会社で新規営業に転じ、フリーペーパーから自力でリストを作り、月3件以上の新規顧客を獲得し続けた。
現場の数字で証明してきた実績
帰国後の事業支援活動でも実績を残してきた。自動販売機会社の外部顧問として設置先の紹介を約2年間担い、アイビーカンパニーの東京ドンキホーテ窓口担当として、ブラジル産冷凍肉の販売拡大に注力した。
「当時ドンキホーテにはまだスーパー業態がほぼなく、冷凍肉の品ぞろえも限られていた」。完全なブルーオーシャンを見出した落合氏は、各店舗の周辺競合を自ら足で調べ、店舗ごとに価格帯を変えるマーケティング戦略を実行した。本社との直接折衝も成立させ、担当分の販売実績を前年比240%まで引き上げた。「もともとほぼゼロの状態からだったので、当然といえば当然でしたが」と淡々と語る。
今が一番しんどい──体制再建と飲食・DX事業の挑戦
「今が一番苦しい時期です」と落合氏は率直に言う。業務請負を軸に展開してきた時期に間接部門が肥大化し、自分のコスト分を稼げない社員が増加した。「手取り25万円の社員には、社会保険を含めると40万円近いコストがかかる。最低でも60万円の売上を作ってほしいところが、今の働き方では難しいという状況が続いた」。現在は体制の立て直しを進めており、目の前の資金繰りが逼迫する中で、複数の新規案件を同時に前進させている。
現在の事業の柱は三つだ。上板橋エリアで運営する小学生フットサルスクール、同じく上板橋のタイ料理店(イートイン・テイクアウト・デリバリー)、そしてDX営業支援である。タイ料理は青梅のドッグランカフェへのメニュー卸しも開始し、自社でソースを製造して出荷することで再現性を担保しながら横展開を進める。「肝はソース。それをこちらで作って送ることで、現地スタッフが同じ味を再現できる」と話す。飲食店向けのランチメニューOEM卸も構想中で、すでに複数店舗と商談を進めている。
DX支援では、ノーコード自動化ツールn8nを活用した業務自動化をさまざまな業種へ提案・導入している。OCRによるデータ取り込みと複数サービスのAPI連携を組み合わせ、「システム構築に数ヶ月かける従来手法とは異なり、既存サービスをつなぎ合わせるだけで基本的な自動化は実現できる」というアプローチだ。2025年12月から提案を開始し、2026年1月には4社が導入。2026年7月14日には物流DXセミナーへの講師登壇も予定している。
「助けを求める勇気」と、ジュニアアスリートへの誓い
経営者向けのメッセージを問われると、落合氏は静かに語り始めた。「倒産した方がいいと言われる状況もある。でも、やれることをやってどう繋ぐかを考え続ければ、まだできることはたくさんある」。そして今、自分の中で最も大切にしていることとして、こう続けた。「助けてもらうことを恥ずかしがらずにやっていく。プライドを捨てて、助けてくださいと言える経営者が一番強く生きていける。これはどん底から這い上がった方々に共通しておっしゃっていたことです」。
その言葉の根底には、自身の原体験がある。中学3年生のとき、ウルグアイのプロチームの練習生として合格通知を受け取ったが、渡航費・滞在費が用意できず断念した。「父親に、家計の事情で出せないから諦めてくれと言われた」。その後、指導者として高校生・社会人まで多くのカテゴリーを見てきたなかで、同じように経済的な理由でサッカーを諦める若者を幾人も目にしてきた。「バイトしなきゃいけないから練習に来られないと言う高校生がいた。能力が高いのに、もったいない子はたくさんいる」。
落合氏が描く構想は、ジュニアアスリートを一時的に受け入れる施設を設け、特殊トレーニングで能力を掛け算式に伸ばし、海外挑戦へと送り出す仕組みをつくることだ。「お金の支援ではなく、トレーニング環境と機会を届けたい」。現在はスクールのスポンサー企業と連携して小学生を対象に実験的なトレーニングを導入しており、「かなり変わっている」と手応えを感じている。財団設立に向けて相談を進めており、共感してくれる人を広く集めていきたいという。最後に、照れくさそうに一言加えた。「子ども六人いても踏ん張れています。みなさん、絶対に戦えます」。
会社概要
- 会社名:FIGOSJAPAN株式会社
- 代表者:落合 弘則
- 事業内容:小学生フットサルスクール運営、タイ料理店経営(イートイン・テイクアウト・デリバリー・ケータリング・卸)、DX営業支援(業務自動化コンサルティング)、スポーツスポンサーマッチング
- 所在地:東京都板橋区
編集後記
一時間に満たない取材の中に、数十年分の密度が詰まっていた。美容業界、建設現場、タイのプロリーグ、DX支援と、業種を問わず「営業」と「人を動かすこと」を軸に実績を積んできた落合氏の姿は、肩書きよりも体験が人を形成するという事実を体現していた。六人の子を抱えながら資金繰りの正念場で前を向く姿と、かつて諦めざるを得なかったウルグアイへの夢が、ジュニアアスリート支援という構想へと結びついている。その財団が形になる日が楽しみだ。
