リード文
Authense社会保険労務士法人を率いる桐生由紀氏は、財閥系企業の管理部門から専業主婦、シングルマザーを経てオーセンスグループへ入り、独学で社会保険労務士資格を取得して同法人を立ち上げた。企業のHR全般を支えるパートナーとしての社労士像を追い求め、AIを前提とした組織づくりにも積極的に挑む。「社労士業界の中で初の独自ポジションを取りに行きたい」と語る桐生氏に、その歩みと展望を聞いた。
管理部門から社労士へ、独学で切り拓いたキャリア
桐生氏のキャリアは、大学卒業後に入った財閥系企業の管理部門から始まる。25歳で結婚し、26歳で第一子を出産。当時はまだ育児休業を取れる環境が整っておらず、やむなく退職して専業主婦となった。長男に続いて次男が生まれ、育児に専念する期間は数年に及んだ。
30代前半、末の子がまだ幼い頃に離別し、シングルマザーとして実家へ戻る。そこから再び社会へ出るきっかけとなったのが、2008年に入ったオーセンスグループだった。法律事務所と弁護士ドットコムがまだベンチャーとして立ち上がったばかりの時期で、桐生氏はバックオフィスの最初のメンバーとして、両組織の管理部門を一人で担った。
法律事務所は入社当時30人ほどだった人員が、1年後には100名を超えるほどに急拡大した。一方の弁護士ドットコムは長く赤字が続き、なかなか芽が出ない。拡大する組織と苦しむ組織、その両方を管理部門から支える日々のなかで、桐生氏の専門は次第に人事へと寄っていった。
誰にも言わず始めた勉強が、法人設立へ
管理部長から人事部長へと軸足を移すなかで、桐生氏は社会保険労務士の資格取得を志す。きっかけは、社内の人事にとどまらず、外部の企業を専門家としてサポートしたいという思いが強まったことだった。士業法人の中に身を置くのなら、資格を「プロフェッショナルとして企業を支えるポジション」として活かせると考えた。
勉強は誰にも告げず、独りでテキストを取り寄せるところから始めた。1年目はわずか1点に届かず不合格。それでも諦めず、2年目で合格を果たす。「一生時間はできない、だからやるしかない」と覚悟を決めての挑戦だった。
ちょうどグループがワンストップサービスを主軸に据えようとしていたタイミングと重なり、合格を代表に伝えると「いいじゃん」と話が進み、社会保険労務士法人の設立に至った。当初描いていた、士業全体で顧客を支えるグループ体制は、ここ数年で確立しつつある。
顧問として企業と長く伴走する
Authense社会保険労務士法人が対象とするのは企業のみで、個人向けの対応は行っていない。助成金などに特化する事務所も多いなか、同法人が主軸に据えるのは顧問というかたちだ。人事労務のアドバイスやサポートに加え、給与計算や各種手続きといったBPO領域まで丸ごと引き受け、顧客と長期的に付き合っていく。
集客の入り口は特定の手法に偏らず、グループ内の紹介、ホームページ、セミナー、Webマーケティングなど多様だ。広告は出稿せず、SEOや自身の情報発信を通じた認知が中心となっている。桐生氏はLinkedInやXでの発信、記事執筆にも取り組んでおり、「Xを見ていた」という経路で問い合わせが入ることも少なくない。
人材密度を大切に、AIを前提とした組織を
幸いにも赤字を一度も出さずに歩んでこられた背景には、グループで事業を営むメリットがあると桐生氏は振り返る。その上で、継続的に頭を悩ませるのは「人」、すなわち組織づくりだという。
士業は多くの有資格者と事務スタッフを抱える人海戦術の業界だと言われてきた。しかし桐生氏は、AIが登場した今、その構造は変わりつつあると考える。目先だけを見れば人を増やすのが正解に見えるかもしれない。それでも、「AIを前提とした組織づくりこそが士業の最適解ではないか」と、システムやAIの導入に積極的に取り組む。優秀な社労士の生産性をAIで高め、本人でなくてもできる業務を任せていく——その方向性を模索している。
採用においては求人媒体を使わず、人材紹介やSNS経由でのつながりを重視する。一次面接から最後まで、ほぼ桐生氏自身が対応する。「採用にかける時間は最小化したいが、最大の時間をかけなければならない」との考えからだ。予算計画に沿って採用枠を常に空けておき、良い人材と出会えば随時迎え入れる。
桐生氏が大切にするのは「人材密度」という考え方だ。優秀でロイヤリティの高い人が集まり、互いに刺激し合いながら成長していく組織をつくりたいという。社労士の仕事は、担当する企業と何年も伴走し、その成長のストーリーを共に体感していく職業だ。だからこそ、支える社労士自身も成長を実感し、プライベートを含めて幸せでいられる状態を保ちたい。長時間労働が多いと言われる業界にあって、生活と仕事のバランスを取りながら長く働き続けられる組織を目指している。
社労士は正社員として長期雇用を前提に据える一方、バックオフィスの一部は外部の業務委託のプロフェッショナルに任せるなど、柔軟な体制も取り入れている。近年はエンジニアを迎え、AI開発の領域では専門家と協働する試みも始めた。
「1か初か」——社労士の在り方を変える
今後3〜5年を見据えて、桐生氏が挙げる好きな言葉が「1か初か」だ。業界で1番を取るのか、それとも初めてを成し遂げるのか。売上で1番を目指すことも価値ある目標だが、桐生氏はそこに従来型の拡大方針とは違う道を見ている。
「社会保険労務士というと、社会保険の手続きをする人というやや偏ったイメージを持たれている気がする」と桐生氏は語る。しかし人事の領域は本来とても幅広い。労務はそのごく一部にすぎず、社労士は本来、人事領域全般の専門家であるべきだと考える。HR全般を支えられるパートナーでなければ、企業の人事の伴走者としては不足だ——その信念のもと、桐生氏は社労士という職業の在り方そのものを変えようとしている。
「社労士業界の中で、初の独自のポジションを取りに行きたい」。その言葉には、労務にとどまらないHRパートナーとしての社労士像を切り拓こうとする静かな決意がにじんでいた。
会社概要
- 会社名:Authense社会保険労務士法人
- 代表者:代表 桐生 由紀
- 事業内容:企業向けの顧問社会保険労務士サービス(人事労務に関するアドバイス・サポート、給与計算や各種手続きのBPO等)
編集後記
管理部門から専業主婦、シングルマザーを経て、独学で資格を取り法人を立ち上げた桐生氏の歩みには、その時々を自らの意志で選び取ってきた芯の強さがある。社労士を「手続きの人」から「HR全般のパートナー」へと再定義しようとする姿勢は、人手不足やAI活用に悩む多くの企業経営者にとっても示唆に富む。人材密度を大切にしながら業界の常識に挑む桐生氏の挑戦を、これからも見守りたい。
