食べることは、誰もがやめられない。それなのに、その食を支える農業の現場では、担い手の減少が続いている。スマートアグリコンサルタンツ合同会社の代表社員・渡邊智之氏は、民間企業、農林水産省、大学という産官学の三つの立場を経験し、その視点を武器に次世代農業のコンサルティングに取り組んでいる。テクノロジーを導入すること自体を目的とするのではなく、農業を持続可能な「稼げる仕事」に変えていくための経営改善や人材づくり、そしてデータを意思決定に生かす仕組みづくりこそが重要だと語る渡邊氏に、これまでの歩みとこれからの展望を聞いた。
民間から農水省へ——産官学を横断したキャリア
渡邊氏のキャリアは、大手IT企業での新規ビジネス開発から始まる。そこで与えられたテーマのひとつが「ITを使って農業で何かできないか」だった。農業系アプリケーションの企画立案に携わるうち、渡邊氏の軸足は次第に農業そのものへと移っていった。
転機は、国がスマート農業を本格的に推進しようとしていた時期だった。「ITに精通していて農業も分かる人がいませんよね、という話になって、白羽の矢が立った」と渡邊氏は振り返る。農林水産省でスマート農業の推進を担当し、約3年間、政策の最前線に立った。
さらにその間、業界団体の立ち上げにも関わり、代表理事を務めた。「ベンチャー同士で戦っている場合じゃなくて、みんなでこの裾野を広げる活動をやらないといけない」。個社の競争よりも産業全体の底上げを——その問題意識が、後にスマートアグリコンサルタンツを立ち上げる一つの原点となった。慶應義塾大学SFC研究所の研究員も経験し、民間・行政・学術の視点を持ちながら、自らの専門性を社会に還元する場として同社を設立した。
専門性と中立性を武器に——産官学をつなぐコンサルティング
現在、同社のコンサルティング実務を中心的に担うのは渡邊氏自身だ。依頼は自治体や農協、農業者に加え、農業への参入を検討する異業種企業まで幅広い。集客のきっかけとなるのは、著書『スマート農業のすすめ〜次世代農業人【スマートファーマー】の心得〜』や、講演、プレスリリースなどを通じた情報発信だ。「あちこち営業して手一杯になっても困る」と、一件一件の支援の質を保てる範囲を見極めながら仕事を受けている。
支援の形は多彩だ。1時間から3時間ほどの講演、異業種向けの相談、そして半年から1年をかけて新規事業の課題を整理し、「誰とどう話せば進むのか」まで伴走する長期案件もある。農業者に対しては、経営課題を整理した上で、必要に応じて補助制度の活用や事業計画づくりも支援する。
渡邊氏が自らの強みとして挙げるのが、産官学すべての立場を経験してきたことだ。そしてもうひとつ、特定の製品を売る立場にないことも大きい。「メーカーさんは自分の製品を売りたい。でも私は売るべき製品を最初から決めているわけではないので、その農家さんに適したものを探して、一緒に入れていける」。中立だからこそ、複数の選択肢を比較しながら、技術ありきではなく、まず経営や現場の課題を整理し、その解決手段として現場に合った答えを一緒に探せる。
「生産者」から「経営者」へ——最大の課題は意識改革
センサーやAIなど新しい技術への関心は確実に広がっている。一方、渡邊氏は「私が現場を見ている実感としては、新しい技術を単に導入するだけでなく、経営改善にまで結びつけて考えている農業者は、まだ限られている」と見る。彼が本当の課題と捉えているのは、技術の普及そのものではない。
「農業者は『生産者』と呼ばれることが多いけれど、本来は一経営者だと思っている。もちろん、生産技術を磨き、安全で質の高い農産物をつくることは農業の根幹です。そのうえで経営者である以上、販売単価をどう高めるか、生産コストをどう抑えるか、投資に見合う効果が得られるかまで考える必要がある。一方で、生産に力を注いできた結果、そうした経営の視点まで十分に手が回っていないケースも少なくありません」。スマート農業を入れる・入れないの前に、自分のビジネスをどう伸ばすかという視点を持てる農業者を増やすこと。それができなければ、DXの号令をかけても現場には根づかない、というのが渡邊氏の実感だ。
若者が農業に入ってこない理由についても、「単純に儲からないから、だけではない」と見る。「努力しても報われない、頑張っても高く売れない。そこに魅力を感じにくいのではないか。技術や工夫、データに基づく改善など、頑張ったことがきちんと評価され、収益にもつながる仕事になれば、若い人にとっての見え方も変わる」。判断に迷ったときの基準も一貫している。「これは日本の農業のためになるのか、ならないのか。そこを意識して考えるようにしている」。
エリアで売る——ブランドを「数値」で塗り替える
直販やECに乗り出す若手についても、渡邊氏の見方は独特だ。隣同士の農家がそれぞれ直販を始めても、同じ土地で作る以上、差別化には限界がある。「農業はエリアでやるもの」だと考えている。
「個々の農家がそれぞれ競争するだけでなく、地域の農業者、JA、自治体、流通、異業種企業などがつながり、産地全体として価値を高めていく。私は、これからの農業は『個で売る』だけでなく『エリアで売る』発想が重要になると思っています」。
だからこそ、産地の名前だけに頼るブランドのあり方には一石を投じたい。「有名だから、という理由で選ばれている産地のブランドを、数値で捉え直していく。例えば糖度や食味、機能性成分など、品目に応じた客観的な品質指標で価値を示すことができれば、今年初めて作ったメロンでも、有名産地と同じ、あるいはそれ以上の品質だと説明できる可能性がある。そうであれば、産地の知名度だけではなく、つくったものの価値そのものが価格に反映されてよいはずです」。品質を客観的な指標で示せれば、産地の知名度だけではなく、つくったものの価値そのものが評価される。その仕組みづくりが、農業の魅力を取り戻す鍵になると考えている。
渡邊氏が掲げるのは、「かっこよく、稼げて、感動がある農業」というビジョンだ。これは、2018年に著書『スマート農業のすすめ』で掲げた「かっこよく・感動があり・稼げる新3K農業」という考え方にもつながる。農業に「業」という言葉が付く以上、持続可能なビジネスとして成立させたい。そこに一貫した関心がある。
今後の展望——人と企業を農業につなぎ、日本の農業を次世代へ
出張は全国に及ぶ。「ほとんどの都道府県に足を運んできた」と渡邊氏は話す。農繁期を避けた依頼が多いため、秋口から仕事が立て込む傾向があるという。
目下の課題は、一人で担える案件数に限りがあることだ。「たくさん来ても受けられない。かといって、まだ黎明期で、常に大量の仕事がある業界でもない」。売上を積み上げ、いずれは自分と同じように現場と経営の両方を見ながら動ける人材を迎えられる規模へ——3〜5年のスパンで、渡邊氏はそんな姿を思い描く。
当面の大きなテーマの一つは、農業分野に関心を持つ異業種企業への支援だ。たとえば、植物工場に取り組む製造業や、農業向けセンサーを開発しながら販路づくりに悩む企業など、自社の技術や強みを農業現場でどう生かせるのかを一緒に考えていく。農業では、優れた技術があるだけでは事業にならない。誰のどの課題を解決するのか、農業者が負担できる価格なのか、導入後に使い続けられるのかまで設計する必要がある。単発の助言だけでなく、継続的に伴走する支援にも力を入れていく考えだ。
その視線の先には、日本の農業全体への強い危機感がある。農林水産省の2025年農林業センサスによれば、基幹的農業従事者は102万1千人で、2020年の136万3千人から5年間で34万2千人、25.1%減少した。高齢化も進み、今後さらに担い手の減少が見込まれている。
「人間は、食べて生きている。異業種の企業にも、自分たちの技術が農業現場でどう役に立つのか、もっと意識を向けてほしい」。農業者だけで農業を守るのではなく、企業、行政、研究機関、地域社会の力をつなぐ。その接点をつくることが、日本の農業を次の世代につなぐことになると渡邊氏は考えている。
会社概要
- 会社名:スマートアグリコンサルタンツ合同会社
- 代表者:代表社員 渡邊 智之
- 事業内容:次世代農業(スマート農業)に関するコンサルティング。自治体・農協・農業者向けの講演/研修、農業経営・営農課題の整理と改善支援、異業種の農業参入支援、農業向け製品・サービスの事業化・販路構築支援、補助制度活用や事業計画づくりの支援など

編集後記
民間企業、農林水産省、大学。異なる立場を渡り歩いた経験は、そのまま渡邊氏の言葉の説得力につながっている。技術を売り込むのではなく、農業を一つの「経営」として捉え直し、現場の課題に合う手段を一緒に考える——その視点は、担い手が減り続ける日本の農業にとって、これからますます重要になるだろう。さらに、個々の農家だけではなく、地域全体で価値をつくる「エリアで売る」という発想にも、産官学を横断してきた渡邊氏ならではの視点が表れている。「人間は、食べて生きている」という言葉には、この仕事が社会全体とつながっていることへの確かな実感がにじんでいた。
