リード文
山梨県で一級建築士事務所と工務店を営む、株式会社アトリエいろは一級建築士事務所の代表・千葉健司さん。小学校の文集に「大工さんになりたい」と綴った少年は、やがて「作る側」ではなく「直す側」の建築士を志す。空き家・空き店舗が全国トップクラスに多い地域で、リノベーションを軸にした“まちづくり”へと事業を広げてきた。壊しては建てる時代への違和感を出発点に、古い建物へ新しい命を吹き込み続ける経営者の歩みを追う。
小学生の文集から続いてきた道
千葉さんの原点は、小学4年生の頃にさかのぼる。4人兄弟で子ども部屋をシェアして育ったが、あるとき自分の部屋を増築してもらった。それが嬉しくて、学校から帰るたびに大工の仕事を飽きずに眺めていたという。
「小学校の文集には『将来は大工さんになりたい』と書きました。中学の卒業アルバムには『一級建築士になりたい』と」。早くから好きなことがはっきりしていて、進むべき道も定まっていたと千葉さんは振り返る。
学校を卒業後はハウスメーカーに勤め、新築住宅を数多く手がけた。その後、設計事務所と工務店を兼ねる会社へ移り、担当したのはリノベーションだった。29歳で独立し、現在の会社を立ち上げてから17年。46歳になった今も、その歩みは一本の線でつながっている。
「作る側」より「直す側」の建築士へ
転機は、リノベーションという言葉が世の中に浸透し始めた時期に訪れた。
「日本はスクラップ&ビルドで、まだ使える住宅を30年ほどの周期で壊してしまう。そこにすごく違和感がありました。作る側よりも、むしろ直す側の建築士になりたいと」。空き家・空き店舗が増え続けるこれからの時代にこそリノベーションが必要だと考え、リノベーションに特化した建築士として起業した。
千葉さんにとって、リノベーションは幼い頃に好きだった“いたずら”の感覚に近いという。「誰もが負の遺産としか思わないようなボロボロのものに手を加えて、驚かれたり喜ばれたりする。その感覚がすごく似ているんです」。自分が手を入れたもので人に必要とされることに、大きなやりがいを感じている。
空き家を「まちの資産」に変える
現在の事業は、一級建築士事務所(設計事務所)としての登録に加え、建設業の登録を受けた工務店としての施工まで。その中でも力を入れているのが、リノベーションを軸にした“まちづくり”だ。
背景には、深刻な空き家・空き店舗の問題がある。少子高齢化で建物が余っていく中、地域の再生をリノベーションで担おうとしている。顧客は30〜40代が中心で、「祖父母が亡くなって空き家になった家を、孫の世代がリノベーションして住む」というケースが多いという。
象徴的な取り組みが、築およそ60年のヴィンテージビルを一棟買い取って再生したプロジェクトだ。テナントを誘致し、道向かいには飲食店が並ぶ“横丁”をつくった。この活動を起点に、8年ほどで地元の商店街に40店舗のオープンを後押ししてきた。移住者の物件探しから補助金の活用、リノベーションの設計・施工までをトータルで支援し、まちづくりを加速させている。
新築が主流の業界にあって、リノベーションは提案力も経験値も求められ、トラブルにもなりやすい難しい領域だ。だからこそ徹底して顧客と向き合い、口コミでも高い評価を得てきた。「新築だと何社も相談される。でもリノベーションでは、他社を検討せず弊社を選んでくれる方が多いんです」。
一人から始めた不安と、「お客様優先」という軸
順調に見える歩みにも、苦労はあった。ゼロから一人で立ち上げた設計事務所は、紙とパソコンさえあれば始められ、原価もかからない。「一人なら、そんなに大変ではないんです」。
しかしスタッフが2人、3人と増えると景色が変わった。「2、3か月先の仕事が見えないと、やっぱり不安がある。あの頃は気苦労が多かった」。リーマンショックやコロナショック、ウッドショックと、世の中が冷え込むたびに「どうしよう」と向き合ってきた。
そうした経験の中で、判断の軸は一貫している。お客様を最優先に考えることだ。「お客さんに喜んでもらってなんぼ。何かを判断するとき、それが本当にお客さんにとって最適な答えなのか、自分本位になっていないかを必ず考えます」。この価値観は、社員全員と共有しているという。
17年、変わらない仲間たち
現在の社員は9人。来年4月に新卒が加わり10人になる。特徴的なのは、若手が自ら集まってくることだ。20代の社員が多く、その多くは学生時代にインターンとして働き、「ここに入りたい」と入社を決めてきた。
「勉強しろとも言っていないのに、みんな毎日勉強して資格を取っていく。意識の高い子が多いですね」。大学卒業後に入った社員の一人は、昨年、一級建築士に合格した。
さらに驚くべきは定着率だ。「17年間で集まった仲間たちが、今も1人と変わらず一緒に働いてくれています」。背景には、働きやすい環境づくりへの意識がある。早く帰れること、休みをしっかり取れること。「お客様を優先しつつ、自分の時間も大事にしてほしい。自分が幸せじゃないと、人も幸せにできませんから」。社員同士はほどよい距離感で、互いをリスペクトしているという。
50年、100年と続く会社へ
これからのビジョンも、やはり“まちづくり”にある。横丁の規模をさらに広げ、増え続ける空き家を丸ごと再生していく——リノベーションによるまちづくりを、いっそう加速させたい考えだ。
「創業して17年。リノベーションと同じで、会社もどんどん育てて、50年、100年とつながる会社にしていきたい」。ゼロから始めた当初は「創業去年です」「3年前です」としか言えなかった。だからこそ、歴史そのものが信用でありブランドになると実感している。
選んでもらい、成長させてもらった。その報酬で会社が成長し、得たものを街へ還元していく。空き店舗問題の解決に取り組み、「より良い山梨をつくっていく」ことを、これからの課題に据えている。
会社概要
- 会社名:株式会社アトリエいろは一級建築士事務所
- 代表者:千葉健司
- 事業内容:一級建築士事務所(設計事務所)/建設業(工務店)、リノベーションの設計・施工、リノベーションによるまちづくり
- 所在地:山梨県
- 創業:現在17年目(代表が29歳で創業)
編集後記
小学生の文集に記した夢を、そのまま職業にした人だった。「作る」ではなく「直す」を選んだ視点は、空き家という社会課題への静かな回答でもある。古い建物に手を入れ、人が集まる場所へと変えていく——その積み重ねが、一つのまちを少しずつ元気にしている。17年間、一緒に働く仲間が1人として変わらないという事実が、千葉さんの掲げる「お客様優先」と「働く人の幸せ」が絵空事ではないことを物語っていた。
